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1 2014年 06月 27日
先日久しぶりに繁華街を歩いていたときのこと。 すぐ前を小学生男子二人とお婆ちゃんを連れたお母さんが歩いてました。美味しそうなベーカリーがありました。前で買って行こうということになったようで、男の子二人は自然にドアの前に立ち入ろうとしました。 そのとき、お母さんの一声。 「ここで待っていなさい!」 そしてそれだけ言い残しお母さんだけ店に入って行きました。 子ども二人とお婆ちゃんは、そのまま stop & stand. 人通りの多い道路に。 あ〜あ。。 やっちゃってる。。。 (私の心の声) 「なんでお子達は店に入ったらいけないの? 」 入ってはいけない理由をお母さんの立場から想像してみました。 「面倒くさい」・・・「もし触ったら〜って心配?」「あれもこれもとおねだりしたら困る?」あるいは、「急いでさっさとすませたい」 まあこんなことかしら・・。 でも本当はなぜだったのか・・・お母さん以外だれもわかりません。 何れにしてもお子達は納得していますか? お子達の気持ちを想像していますか? 子育てポイント! ここでお母さんに必要だったのは、たった一言。 「〇〇だから、ここで待っててね」。 お母さんの気持ち(理由)を説明する一言があれば、お子達は理解したはずです。 前者で子どもの心に残るのは・・「どうして〜?」理解出来ない事へのモヤモヤ、不満。そして、積み重ねていくのはお母さんへの不信になるかもしれません。 後者で子どもに残るのは・・「わかった」不信ではなく納得の感情と、お母さんへの信頼です。 お子達の心に残るのは、全く違ったベクトルのもの。 えーまさかそんな程度の事で・・とか、たった一回のことが〜?と思われるかもしれません。でも、たぶんこのようなことは無自覚に繰り返しています。 子育ては難しくないのですよねー。日々のひと言。 たったひと言を手抜きし省くのか、たったひと言に心を載せて表現するか〜。 小さなひとつは、大きな違いを生んでいきます。 (★私も急いでいたので、このご家族のその後は見てませんが、もしお子達もベーカリーで甘い匂いや選ぶ楽しさも味わって買ってこれたら、美味しさ倍増、幸せな家族時間だったでしょうね! ) ■
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by mitry_macrobian
| 2014-06-27 12:20
| 子育て
2014年 04月 13日
5週間の手伝いを終えて、帰りのトランジットで書いてます。夫が「どうせなら出来るだけ長く居てやりなさい」と背中を押してくれたので長くなりましたが、お陰で本当に良い時間を過ごしました。 実は、この娘は14歳で海外に出してから、その後仕事で日本に暮らしても県外だったので、休暇で実家に戻るという以外は、ゆっくり一緒に生活したのは14歳の時以来でした。そしておそらく今後もあるかないかわかりません。だから、やはり一生に一度の時間だと思って過ごしました。 取り立ててではなくとも、いろいろな懐かしい思い出をしました。こんなだったね、あんなことがあったよ、そうだね、互いに忘れてたことも思い出し合い、とても嬉しい時間でした。 そんな中から、私自身は未熟な親だった事を改めて思い出しました。今だからわかる・・という事ですから「ごめんだったね〜。申し訳なかったね〜」と互いに大笑いですませられる思い出です。思い出せて、また謝れてよかったな〜と思います。 一緒に暮らすと、生活の些細なこと、いのちのこと、食のこと、パートナーシップの事、・・もういくらでも伝えたい事がありました。もちろん聞いてくれるからです。 「私もそれだけ長く生きて来たのだなあ・・」と思うと同時に、「ああまだまだ何も伝えて手渡してなかったんだなあ・・」と改めて思いました。 昔は、私の子どもの頃までの時代は、家族の同居が当たり前でしたから、たぶん大事な知恵を生活の中で伝えられたんですね。それが社会の進歩の中で途切れてしまった・・。何だかとても悲しい、寂しいことだなと思います。 伝統というのは、何も改めて技術や芸術ではなくて、「生きる事」の中にも本当にたくさん大切なことがあるのですね。さらに、心や感受性、価値観、これらも大事な引き継いで行くべきものだと思いました。 不思議ですね。こうやって、世代の鎖が繋がって行く事の、意味と深さを想います。とても味わい深い。 でもそんな偉そうなことも言えるものではありません。 私はこの間、自分の母のことをもよく思い出していました。 娘と孫の姿は、誰もがそうであるように、母子の無償の関係で結ばれています。それを見ながら同時に「私の母もやってくれたんだなあ」と思いを馳せました。 愛情いっぱいに育ててもらった事は覚えています、だが、ひとりで大きくなったような顔してきたし、今もしています。年老いた母に向かって偉そうな口はきけど、まだまだ感謝は伝えきれていません。時々実家に戻ってもゆっくり過ごしてない私は、60歳過ぎても母を大事に出来ていない自分にどこか後ろめたい気持ちを抱えています、そんなことも思い起こさせられました。帰ったら88歳の母に手紙を書こうと思います。 ☆レポート的に書いてきましたが、これからも次世代に伝えたいこと引き続き書いて行きますね。 ■
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by mitry_macrobian
| 2014-04-13 19:04
2014年 04月 07日
娘の手伝いに来てひと月になろうとしている。毎日たくさんの会話をしてます。昔の思い出から人生の事など。 昨日の話は・・。 「これって、なんか、マクロビアンとかベジタリアンの食事というのとは、別次元に分け入っていく感じだね〜。」娘。 「そうそう、それが<マクロビオティックを使って生きる>ってこと。知識ではなくて、応用変化自在な知恵が増えて行くのよ」私。 毎日のご飯を作るって、結構大変・・。 自分と夫のためには簡単食しか作らなくなっている私、人のために出せるようなレシピはもう頭の中から消えている。だから「今日は何作ろう〜?」と毎日悩んでいる。(かつて365日3食+おやつを手作りしていた子育て時代が我ながら信じられない。) ごちそうではないシンプルな毎日ごはん。でも美味しい!と言ってくれる。感謝の気持ち半分としても、こちらもうれしい。 もし、本当に美味しいとすれば、さりげなくベビーと娘のコンディションに合わせたものを判断してるから・・だけの話。 でも今、そのことで役に立ってるのは、病気の方のためのコンディションに会わせた食せんを作っていたこと、体質改善のためのセミナーで、参加者のコンディションを見極めながら微妙なさじ加減の食事と飲み物を作って来たこと。これを長年やって来た事が本当に役にたっている。 その日の母親の食事が、翌日のベビーのコンディションを作っていく、これは、見えないものをはっきり現象として見せてくれる不思議世界。もうそれはみじんの間違いもなく現れる。(この事に気がつくかどうかはまた別な問題だが・・。) この現象に寄り添うのは本当に面白い。 “いのちと食の関係”をつぶさに見せてくれるから。 食べ物って“身体に寄り添うことが大切”ってことを教えてくれるから。 ■
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by mitry_macrobian
| 2014-04-07 13:51
| macrobiotics
2014年 04月 01日
マタニティブルーと言う言葉をどのくらいの人が知っているのだろうか。 出産後、母になった女性がなりやすいブルーな状況のこと、まあ落ち込むとか、悲しくなるとか〜。とにかくそれまでにはなかった精神的なバランスになることをいう。医学的には、出産後ホルモンバランスの崩れから起こると言われている。 私の時代には、まだ一般的な認識は少なかったと思う、というか、私は自分がそうなって初めて調べてわかった、という体験だった。それも後になって。 これから出産する人は、これは是非出産前に認識しておいた方がいいと思う。 本人だけでなく、パートナー・家族も。 人によって状況によって個人差がある、時期が過ぎれば(母の体力が順調に回復すれば)自然に解決する事が多い、が、もしやって来たとき、「もしかしてこれかな?」と思えたら、知らないままよりは断然楽に過ごせる。 現実の事態は、本人達(夫婦)にとっては、全く論理的には判断出来ない状態で起こるので、深刻に迫ってくる。 たとえば、何が悲しいかわからないけど、悲しくなる・・ 優しくしてくれないと、不安になる・・ 何でも無い事に、傷つく・不満に思う・・ etc. 全て、勝手に〜〜なのだから、本人だって困る。本人自ら何がおこっているのか、どう判断していいいかわからない。家族も何とかしてあげたいがどうすれば良いかわからず、困惑することになる。 そこで、私が考える対処法〜。 本人は、とにかくそういうことがあるのだと認識し、なぜだ〜?私はどうなってるの〜?おかしい!とか考えない。 「これがそうか〜!」くらいに思って、自分がやりたいように、居たいようにしていよう。そして食事飲み物をコントロールすることは一番近道。落ち込みに繋がるような食をとらない。砂糖類の入っているもの、冷たいジュースやコーヒーなど。本人に出来るのはそのくらいの事が精一杯だろう。 問題は、というかより重要なのは、パートナーや家族がそれを理解しているかどうかである。これによって対応が違ってくるから展開も違ってくる。 ところが、ここで問題が起きるのだ・・。 本人に限らず、パートナー・家族にとっても、出産はビッグイベント、そちらも少なからず精神的に不安定になっているという事である。さらに、ともにそれなりに緊張して良き子育てをしようとの張りがある。良い事であるが、ある意味ここで事態が少なからず混乱してしまう。 例えば、身体も心も疲れている本人が些細な意見を言ったとき、「なぜだよ」「どうしてそう思うの?」「以前はそんなことは言わなかったじゃないか」「君はおかしいよ」とか・・ね、言ってしまう。 普段夫婦で喧嘩になる時って、些細な違いからこんな会話になるでしょ!? あれあれ、あれをついやっちゃう・・。そうなったら更に訳がわからないから、余計感情の掛け合いになって、結局よけいブルーになる。あ^あ・・である。 私は思う。ここからは私の持論だ。 とにかく、出産は宇宙の総エネルギーの集約とも言える尋常じゃない出来事だ。 母体にこの世の最大の収縮拡大の力が働く。ならばそれを成し遂げた身と心にも、尋常じゃないことをが起こっても当たり前なのだ。平常時と同じであろうはずが無い。そこに理由などない。(医学的にはホルモンバランスから起こるのだが、この際吹っ飛ばそう)。 「論理では説明できない全く理解を越えた事が起こっている」その認識を、まず全員が持つべきだと私は思う。マタニティーブルーを軽くしてくれるのは、何よりベビーの成長のために皆で協力しあうというこころ。家族も友人も、皆にできることは、ただただ優しく見守ることしかないだろう。それが一番、母親とベビーを守ることになる。 ■
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by mitry_macrobian
| 2014-04-01 22:14
| 子育て
2014年 03月 29日
また文化の違いに驚く。 親達の用事で車で出かけることに。片道20分、用事が30分くらいというから私とベビーもついて行く。 車に乗り込んでベビーチェアに驚いた。まあ頑丈そう。日本でのこのような椅子をまじまじと見たことがないので、比べようもないが、ベビーを椅子に寝かせて、がっちり止める物にまたまたビックリ。もうみじんも身動き出来ない。 案の定、いやがってムヅガルのがわかる。(慣れれば車でのドライブがゆりかご代わりになるという話は聞くが、それはまあ大きくなっての話) 「えーこんな小さな子を、こんな不自由に縛り付けるの?かわいそう」と思ってしまうほど、頑丈にがっちり抑え付けられる。大人のシートベルトの方がよっぽど自由がきく。 良く映画などで見る宇宙飛行士が椅子に座ってがっちり留める。あれを連想してしまった。 でも、もっともでもある。完全な車社会。普通にハイウエイ並みに走るのだから、万が一の事故はたまったものではない。「もしも車から飛び出るようなことがあってもこのベビーチェアだと守れる」くらいの考えらしい。ポーンと宙を舞ってもそのまま着地、ベビーはすやすや包まれているってことか、、、。 確かにこの国ではそのくらいの覚悟が必要なのだろう。良いような、でもどことなく居心地の悪い気がするな〜。でもいのちを守るために仕方ない・・。 問題はベビーシートではなくて、これほどのものが必要になった生活そのものが問題なのだ。。 「何事も慣れてしまえば慣れるもの」。でもどんどん文明というものが進んでいって、なんとか必死でついて行く〜、それで良いのかなあ〜、って感じがするのは私だけかな。 そうだ、私にとってはITもそうだし、情報だってそうだわ・・。携帯電話が出来た頃だって、こんな危険なもの(電磁波)使っていいの〜?と思ってた。(今でも思いながら使ってるけど・・。この話はまた別の機会に。) 原発だって放射能だって・・・世の中はいつの間にかこうやって押し流され・・。 「時代と共に」って面白さとその便利さ、反対に「時代に抗してる(遅れてる)」ってことの大切さと覚悟、これ両方大事にしたい私。 だから、ちょっと立ち止まって、ほんとにこれで良いの? と思う事だけは何事に対してもやっていこうと思う。
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by mitry_macrobian
| 2014-03-29 05:00
2014年 03月 25日
前回母乳のことを書いたが、その後で、付け加えなければ〜と思った事がある。私は何が何でも母乳でなければ〜と主張しているのではないということ。
母乳で育てるというのは、あらゆる哺乳動物の基本。たいていの野生動物達は母の乳が貰えなければ生きていけない。でも有り難い事に人間は他の代用で生きていける。すごいことである。 現代は身体にも環境にもたくさんの困難と負担がある時代だ。どうしても母乳が出ない・足りない・事情で授乳出来ない・いろいろなケースもたくさんあるのが現実でもある。 もちろん母乳が出るように、妊娠中から、あるいは出産後も、母体の身体作り環境作りをすることはとても大切で、それでかなり解決する場合はたくさんある。にもかかわらずうまく行かないという事も多々有るだろう。それらをきちんと認識し、見極めなければいけない。 そして、その時に有り難いのは、やはり人工乳があるということ、いのちを守る砦として有ってくれるのはとても有り難いものだ。 (私個人は詳しくはないが、研究や技術は進んで、原材料も完全に吟味された良い物ができているだろうと、そうあって欲しい・・と願っている。) 私がこのような事を敢えて言うのは、かつて受けた相談の中で、母乳で育てたい一心でミルクを拒否あるいは畏れて、幼子の成長が思わしくなかった例がいくつかあったからだ。そしてそれは食やエコや生活に対する見識が高い、素敵な家族たちだった。子どもに無責任だったり愛がないという事では決してない。ただちょっと自分でフォロー出来るよりもちょっとだけ、理想を大事にしすぎた、ってことだと思う。 ![]() 「子どもを育てるということにおいては、自分の主義や心情がしっかりしている事も大事だが、最重要ではない」、「いのちを育てるためには、現実を良く見て判断することが欠かせない」、ということをわかっていてほしい。それと、「専門家の手を借りる・知恵を借りるということは、貴女の敗北ではなく前進に繋がる」ということも、忘れないでいてほしい。 ■
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by mitry_macrobian
| 2014-03-25 10:06
| 子育て
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