|
1 2014年 10月 24日
友人の主催するミニコミ紙9月号に書いた文章です。自分の足跡、、あの日から3年5ヶ月経ったある日の言葉です。 少し長いです、お時間ある時に〜。 ーーーーーーーーーーー こんにちは。 今日は8月11日、私は今、福島県いわき市の山奥、森の中の我が家でこれを書いています。福島原発事故現場から24kの美しい原生林です。我が家を離れてちょうど3年5ヶ月になりました。 この間、15回ほど里帰りしています。 あの日以来放射能から避難しているのに、なぜこんなに帰ってくるのでしょう・・もう住めない、もう住まないと決めているのに・・。先祖の墓や土地がある訳ではありません。でも、私の人生のほぼ三分の一の時間と思い出のほとんどがここにあります。家族の歴史と私達夫婦の仕事の全てが詰まっていた所です。 帰って来ると、懐かしくて嬉しくてホッとして、そして悔しくて悲しくて情けなくて、でも木々に何度も感謝し、以前と同じように普通の暮らしをします。窓を開け放ち、深呼吸し、井戸水の冷たさに歓喜し、静寂に身を浸します。残っている友達を訪ねて語らってきます。 そして、この家に詰まったいろいろな物の整理を少しずつ進めています。40年近い家族8人の暮らしと20名が宿泊できるリトリートセンターを支えてくれていた物たちは沢山あります。それは思い出の整理でもあります。 毎回、それぞれ違う感慨があります。いろいろな気持ちをリアルに味わい確認に来ているのかもしれません。そして少しずつお別れをしているのでしょう。これは現時点での私の被災生活の一部です。 清水さんから個人的な一例を示す文章を書いて欲しいとお声かけ頂きました。実は被災以来、時々体験をお話してきましたが、文章にすることはなかなかできませんでした。私達にとっては戦時下のような、あまりに事態の変化と心の激動がいろいろありすぎて、どう整理していいかまとまらないのです。同時に、放射能情報も千差万別この事態をどう生きるかはあまりに個人の判断に差異がありましたし、置かれている位置も価値観もばらばら。渦中の当事者達ほどデリケートな問題でした。言葉にしてしまうにはあまりに大きすぎる問題を含んでいました。 でも3年経ちましたので、少しは大丈夫かと思い書き始めましたが、やはりうまくいきそうもありません・・。この3年間を振り返ったとき、自分自身でも、どこから手をつけたらいいかわからないほどの事がありすぎるのです。 大雑把に気持ちを振り返ると、最初の1年間はとにかく原発の現状・政府動向に疑いを持ちながら注視し、夢中でただただ日々を緊張しながら、こなした感じです。怒りと悲しさは大きすぎて、心の琴線も過敏になっていました。何を見ても感じても涙があふれていました。美しい風景を見ても、テレビドラマを見ても、美味しい物を食べても、優しい言葉一つにも・・。2年目もやはり事態の把握や分析には目を凝らしましていました。元気であろうと日常生活を必死に楽しみながらも、怒り不信を溜めながらですから、心身に良いはずもありません。もう何だかとても疲れてきました。3年目に入った頃から、やっとちょっと冷静に普通の自分に戻った感じです。客観的なバランスが戻って来た感じです。 私達はまだ幸いなことに、小さな子どももいないし、むしろ成人した子ども達が精神的には大きく支えてくれました。身体も元気です。新しい土地で出会う人たちにも恵まれ、良い出会いをたくさん頂きました。だから避難者の中でも恵まれていた方だと思います。 それでさえ、こうなったのですから、様々な困難な状況にある避難者の皆さんについては、推して知るべし・・です。とにかく精神状態が平常と全く違うのです。些細な事で傷つき、些細な事でもめ事になり、さらに悲惨になっていく・・容易に想像出来ます。 心の状態で深い喪失感というのは誰にも大変な問題です。それから立ち直るのは容易ではない、早くても2^3年、状況によってはそれ以上かかるだろうと思います。 現在、この福島県ではたくさんの人が暮らしています。放射能を受け入れる人、放射能と闘いながら生きる人、土地を守る人、復興のために働く人、本当にいろいろな人が共に生きています。帰って来て確認できるのは、町には大型店と新築家も増え、人口が増えている様子です。(もちろん地域によって違うので、いわき市の場合の感想です。) 人間って本当に逞しいなと思います。私達は皆、様々な選択で人生を選びます。そしてそれは自己責任です。その上で、「とにかく共に頑張って生きいこう〜!元気でいようね!」このひと言しかない。 「膨大な困難さを抱えて、それでも頑張って生きる」という点では皆同じです。 選択は違うということを認めた上で、このひと言は誰にも心に届く〜 今はそんな気持ちです。 現在思う事は、日本中の人が、世界中の人が、福島の事から学んで欲しいという事です。経済の損得ではなく、被災者が可哀想とかの感情でもなく、全ての人が事実の出来事をしっかり見て欲しいです。我が身に置き換え想像するという力を使ってほしいです。政府や企業のやり方の裏を読めるようになってほしいです。 本当に誰の身の上にも、明日にでも起こり得るかもしれない事です。 しっかり思っていて欲しいのです。「私ならそのときどうするのか〜?」と。 少なくとも家族で、若い人たちと、子ども達と、話しておいてほしいのです。 私はこのような事が本当の教育だと思っています。 現在を見て未来を考える人間を育てる、その教育を家庭の日常会話の中で、やって頂きたいのです。 そうすれば、家族を守りながら、当然原発のない未来を目指す人間が増えていくはずです。国としては絶望に近い気持ちもありますが、人間の上にせめてその可能性を夢見ています。 私たちの家が、土地が、仕事が、思い出が、全て無くなった・・などということは、誤解を恐れず言うならば、実はたいしたことではないと思うのです。もちろんとても困っています。でもそれはまだ個人的な身の上の問題で、「現在」の問題です。 原発事故の本当のもっと大きな問題は、日本にとっても世界にとっても「未来にも問題が残る」、「未来の生命力が落ちる」ということです。個人的なことではありません。その幾万倍も大きな危機になるのです。大地・空気・海・全ての環境のこと・・。 その事を想像しながら生きる人が増えますように〜 一被災者の願いです。 ーーーーーーーーーーー ▲
by mitry_macrobian
| 2014-10-24 13:37
| 被災/原発
1 |
ファン申請 |
||