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2014年 05月 24日
福島県の我が家に2011年は毎月帰っていました。2012^13年はふた月に1回になりました。 2014年にはこの5月に初めて帰りました。冬は大雪だったらしく、雨樋や煙突は壊れていました。新緑と山ツツジ・藤がとても美しく出迎えてくれました。 歳を経る事も重なって、だんだんと道のりも遠く感じるようになりました・・。 寂しさを感じると同時に仕方ない事・今を生きるにはそれでいいのだと思ったり、いろいろ交錯します。 心底に潜んでいる疲れもそろそろ自覚するようになったからということもあります。 でも帰る度に、本当に素晴しい場所だった事、天国のような場所だった事を感じます。手ですくって飲める甘露のような水が流れています。自然の懐に感謝するとともに、ここに入植して手作りで家を作り、環境整備し、セミナーハウスを造り、多くの方のふるさとになり・・、子どもたちが産まれ成長し巣立ち・・という30年の歴史・・。盛りだくさんの思い出が積み重なっています。それら全部と、家族が協力して暮らした生活を素直に自慢に思います。 よくぞここまでやってきたなと、ファミリー全員を褒めたいです。そしてここに来て下さった何万人の方達、一緒に住んで学び合ったスタッフたちにも改めて拍手と感謝です。ありがとうございます。 放射線量は、事故当時は高かったですが、現在半分〜三分の一になっています。それでも住める数値ではありません(政府発表とは違いますが)。 昨年の除染(といっても、家回りの表面の土の入れ替え、森の下草刈り、枯葉集め)から1年経とうとしてますが、下がったままの所あり、当時より上がっている所もあります。本当に放射能って移動するんですね〜。 でも木々は元気に延びていました。草花も元気に活き活き花をつけてます。 鳥達も賑やかに歌っています。イノブタが多くなったと聞きましたが、今回は会いませんでした。 集落も現在住んでおられるのは5世帯になりました。最も当時から限界集落でした。本当にあの環境、美しい空気と水と動物達と〜。日本の原風景のような山暮らしが可能な場所、本当にもったいないです。 何が失われるって、この大地と環境とその恩恵が未来に亘って傷つくという事が一番の損失です。経済価値があるもの、そんなものを越えての価値です。地球的な損失ですよ〜原発事故の最大の損失は。 私達個人の思い出や生活や健康よりも、もっともっと大きい・・。 それが人類全体でわかるまで、人間はどこまで行くのでしょうか。
by mitry_macrobian
| 2014-05-24 12:39
| 被災/原発
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