もう1週間も前になるが、数日日本を離れていた。
何度も行った慣れた所だからさほど新鮮味は無いはずだが、どっこい今回は今までで一番嬉しい訪問となった。
見慣れた景色、植物に触れるだけで癒された。
友人達と会うと言葉無しでハグ。互いに涙が出た。皆が日本を心配し、私たちを気遣ってくれた。
そんな数日を過ごすうち、自分が思っているよりも疲れていたことに気がついた。
当たり前に時間がゆっくりと気持ちよく流れた。
そしてわかった。
日本での日常がどれほどの非日常になっていたかということに。
自覚的には、3/11以降、夏まではとんでもなく非日常だった。
戦争を知らない世代だがもし言って許されるなら、見えない戦時下にあると思うくらいの非日常だった。
それでも、秋からは少し自分が普通にグランディングしつつあるように思っていた。日常感覚と取り戻していると。。
福島から避難できているし、大変な時代を大変だけど歩いて行けると思えていた。
でも、それもまだ非日常だと、厳しく気づかされた旅となった。
何がどうの〜という訳ではない。
現実が変わらない事はわかっている。
ただ、自分の中にあるグリーフが、暖かい友人達の気持ちや安心感によって、より自覚できたのだ。
嬉しい事だ。
悲しみや落胆は、このような安心できる愛と慈しみの心に触れた時に、自覚でき、浮上し、癒されていくのだろう。
きっと、我が福島では、これから何年もかかって、喪失の悲しみということを抱え、向き合って行かなければならない人たちがたくさんたくさんいる。
今の日本には、これを癒せるだけの慈しみと愛が必要だ。。
私には、家族や友人達がそれを与えてくれる。海を越えていても。
だから、私も誰かの友人になりたいと思う。
この点も、皆が力合わせなければならない。